人を大事にすることへの想い

私は人を大事にする、他人を尊重することに人一倍関心・意欲があります。

そうなったきっかけは、これまでの人生経験にあります。

私は高校時代陸上部に所属していました(よろしければページ「陸上競技に対する想い」もご参照ください)。

その中で、同期に、他人の私物を盗んだり、相手を不安にさせるような嘘をつく、貶すなどして執拗にいじめたり、自分の責任を他人に押しつけマウントを取ろうとするような卑劣な人間がいました。

私はその被害に合い、非常に辛い高校生活を送ることになりました。

そして、私が嫌がらせを受けていても、周りは被害者の味方をするような雰囲気はなく、明るい人、部内のヒエラルキーで上に位置する人(加害者含む)が支持され、味方されるような雰囲気がありました。

また、部は陸上の強豪でしたが、やはり全国の上位に入るという目標がある以上、部員が何か悩みや問題を抱えても、どうしても厳しく当たるだけになってしまっていました。

体調を崩す、部活で悩む、モチベーションをなくす等あっても、周りはとがめるだけで、寄り添うことはありません。

全国の頂点を目指す集団として、「そんなことでは上にはいけない!」という気持ちが最優先だったのでしょう。

また、私は大学時代も初めは陸上部に所属していました。

しかし、周りからのからかいなどもあり、高校時代同様人間関係に悩みました。

大学陸上部の環境であっても、周りが被害者の味方をするようなことはあまりなく(被害者は軽視され)、やはり明るい人、人気者(加害者含め)が支持される風潮がありました。

私は部内に居場所がなくなり、1年生の終わりに陸上部を退部しました。

このような経験をし、上記のような部員の一連の振る舞いは、「本当に人間のあるべき姿なのだろうか?人に対する誠実な態度なのだろうか?」と強く疑問を持つようになりました。

また、高校・大学時代のこれらの経験から、私は、「自分は誰に非があるのかを正確に判断し、周りの雰囲気に流されることなく、守られるべき人を守り、とがめられるべき人をとがめる人間に絶対になる」と心に誓いました。

そして、高校時代の卑劣な人間と同じような人間を世の中から減らし、人々が幸せに生きられる社会を作りたい、と思うようになり、同時に、「人との適切な関わり方とは何か?」ということについて真剣に探究するようになりました。

日常を生きていると、上記のような出来事に限らず、自分中心・利己的なコミュニケーションにより(意図のあるなしにかかわらず)人を不快にさせる場面にはよく遭遇しますよね。

家庭、職場、学校、インターネットなど、至るところで人々が相手を尊重したコミュニケーションが取れずにストレスを与え、ひいてはトラブルにまで発展してしまう場面をしばしば見かけます。

自分自身も巻き込まれストレスを感じることがあります。

そのような経験をするたびに、私は、「人々の心の教育およびコミュニケーション能力の向上を図りたい」と強く思うのです。

そのため、当サイト「アカデミックファクトリー」では、状況や場面に応じた適切なコミュニケーションの取り方や、そのために必要となる心の在り方、考え方などの情報を記事にして発信していきます。

また、実際に自分が粗末に扱われた、あるいはいじめなどのモラハラにあった場合の対処法も公開していきます。

このサイトで一人でも多くの人が救われるよう、尽力いたします。